かくれんぼ
新入り君

新入り君

9月3日に動物病院へお迎えに行って我が家に受け入れたチワワのダイちゃん♂(ダイサク君)

昨年の初頭まで、たまに飲み友達として会うことがあった年上女性が、先月のお盆過ぎに検査入院先で意識不明に、、、
ダイちゃんはその時点ではお泊まり扱いでかかりつけの動物病院に預けられてて。
身寄りがほぼない人で、ダイちゃんをどうするか友人達の間でしばらく悩まれていたらしい。
現況を聞いた瞬間、なんかフツーに「私なんだろうな」と胸にストンと落ちてきた感じで、引き受けることにした。

もうすぐ17歳という高齢なダイちゃん、ご主人様とどんな関係性で暮らしていたんだろう?
ストレスのない犬らしい生活を送らせてあげたいなぁ。

ホクロ

20歳前には気付いたと思う、
右足の土踏まずの大きなホクロ。
いつの間に?

うーん、、、健康的にどうなの。

20代のうちには皮膚科で診てもらったけど
当時、7ミリ有るか無しかが手術基準らしく
これまた、色も含めて微妙な判断、、、

そしてウニャウニャウニャ年か経過。

変わらずそこに鎮座するホクロ様。

「ホクロには占いあったよね?」
土踏まずのホクロ、、、。

、、、ふむ。
まあ確かにね、そんな立場の仕事かも。

とはいえ、
これまで流された生きてきて、
その挙句の今の立場。
登ろうとした覚え無しだけど。

ただただ、必要に迫られ
精進した時期があっただけ。

周囲に私以外にこなす人は居なかった、
組織にとっても黎明期、
ただそれだけのことだったはず。
ただ、運。運命?

、、、そっか。
それが、このホクロの意味?
まてまて。
そもそも占い信じてないでしょ。

まあ、そこ受け入れたとして、
何というか、もう、この歳になると、
自分になのか、ホクロさんになのか、
「ご苦労様」と言いたくなる。
終わった話にしてしまいたい。

だけど、きっと、
世の中そんなに甘くないんでしょね、、、
実家の悪魔は

実家の悪魔は

実家のあの小悪魔はやっぱり悪魔となり。

というか、予想以上の悪魔ぶりを発揮しつつあり。
諸事情により、今月末まで待っていた避妊手術。
ホントに行けるんかいな?と慄いている。
連れて行くの私だし。

などと言いつつ、苦笑を隠す私。
すき

すき

yamaの歌う歌が好き

うーん
「yamaって女の子の歌う」歌かな

サブスクで、拾って聴いてる

聴いていて、救われる、ってかんじるくらいには、とても好きだなぁ

「あぁ」って思う

なんでだろうなぁ
ちょっと泣けてしまう
寂しさが押し寄せてくるから押し返す

寂しさが押し寄せてくるから押し返す

ケントを12月30日に看取った
辛かった

賛否あると思う
私は安楽死を肯定する
なのに安楽死させられなかった私のことを
いつか会う日に許して欲しい

ケントは男前な犬だったと思う
猪猟で正確な成果を上げる、
賢さと勇ましさがあった

引退して去勢してケン子ちゃんになっても
ドスン!と落ち着いて構える姿勢は変わらなかった
リビングのダンナの席の隣はケントの指定席
ずっと空けておくよ
寂しさがジワっと

寂しさがジワっと

10月18日の日曜の早朝にパンタ…
なんか呆然というか「え。今日だったの」という感じ
2日前くらいから食欲がおかしいなという感じがあって
点滴してもらって、尿を管で出せるように教えてもらった翌朝
看取って上げられなかったことが悔やまれる
もがいた様子はなく、すぐには亡くなっている事に気がつかなかったほどに温かくて
犬に死の概念があるのかどうか分からないけど、本人もなんだかうっかり死んでしまった感じなのではないかとすら思う
最期が安らかだったと願うばかり
きっとその時私がそばに居たら「余計なことすな」と邪険に思われたのだろうけれど、
それでもやっぱりそばに居たかったよ
ありがとう
さようなら
きっと、またね
涙腺を奪っていった子たち。

涙腺を奪っていった子たち。

ドナさんの時もルーシーの時も
自分を保てた
きっと、その前のムーとキワコの時、
抉られるような痛みのあるお別れだったから、
あの日以上に辛い感情を受け止めたくなくて、
感情の受動が鈍化したのだなって思う
かなり前の画像だなぁ。やってくれてる。

かなり前の画像だなぁ。やってくれてる。

今は認知症の徘徊のある老犬のパンタ。
この画像の時はまだ10歳になってなかったかも。
うちに来たばかりで、まさかの雷パニック。
そんなパニックがある事を知らずに1時間くらい目を離して戻ってみたら、の図。
この目線。
どこ見てんの。叱らないですよ。
ビックリはしたけど。あーあ、と言って黙々と片付けたような気がする。
あんなに元気で陽気なパンタが懐かしいな。
今は、オムツを付けて、ただただ時計回りに徘徊。性格はおっとり。
そんな君でもやっぱり可愛いよ。
いつまでもしっかり介護できるように、私は病気できない。元気でいないと。筋力も必要だ。
虹の橋が有ればいいな。あって欲しい。

虹の橋が有ればいいな。あって欲しい。

ルーシーの闘病は1月中旬から始まって、意外に20日くらいは食欲も維持できていたのだけど、やはり少しずつ出来ないことが増えてきて、2月19日に唐突に終わってしまった。
私の人生で山あり谷ありのとても濃い時期を一緒に過ごしてきた子なので喪失感はずっと続くのだろうな。
まだ老犬を4頭お世話しているからか、号泣ということは無かった。
このお別れをあと4回乗り越えなければならない。その内の1頭は認知症であまり家を空けられない生活が進行中。だからあまり悲しんでいる余裕はなかった。あんなに仲良しだったのに。ごめんね。大好きだよ。
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