五千回の生死

トイレに市販の芳香剤を使うのが何となくイヤになって小さい線香の入れ物を買って置くことにした

線香の入れ物を置くために、無印良品の小棚の使ってないのがあったのを思い出しトイレの壁に取り付けた

予備のトイレットペーパー入れを一緒に棚においたけど、中途半端にスペースが余るので、文庫本を置いてみることにした

もう10年くらい読み物は電子で読むようになった
置いた文庫本10冊は随分昔に買ったもので
未読のものと既読のものがある
五千回の生死は短編集のタイトルで、その中の最初の「トマトの話」と「眉墨」しか読んでなかった
初めて読んだ当時、トマトの話は鮮烈な印象を残したし、眉墨は不思議な気持ちになる読後感だった

こうして再び手に取る機会が出来たので、やはり表題作は読んでおこうと、便座に座ってまずは、さわりの部分だけでも、と読み始めたら止まらず読みながらリビングまで来て一気読み終えた
しまった手を洗おう

内容は、主人公の誰にも話したことがなかった14年前の大学2年生の時の話で、映画にしたらロードムービーになるのだと思う、、、たぶん

今回、自分が読後いつも作品を読み解こうとしていたことに改めて気が付いた
「私はこの作品をこう感じた」として一つの読書を終える感じ

今日はその一歩手前で感覚を止めたいと思った
未消化のままにして、時々記憶から取り出して反芻したいと思った

「お前、なんでそれが判れへんのや?」

つくづく思うのは

2019年あたりの年に戻りたい
コロナを知らない
戦争に怯えない
物価高や為替に渋面にならない
そうとは知らずに幸せな不安のない日々だった

5年で世界がギスギス

全部、内包しながらそこまで来てたのか
知らないってことは存在しないって事ではないんだと時々痛感する

不安

不安でしょうがない
なので、手当たり次第、掴めるものを掴んで握りしめる
掴む何かが「誰か」でも「快楽」でもなく、
前に進むための、何かであったらいいのに

薬屋のひとりごとと歌

以前から、小説家になろうってところで、
読んでいたのだけど、最近アニメ化されて、
「主題歌はどなた?」と気になって、、、

自分の頭の中でのイメージを
出来れば大切にしたいから、
原作を知っていた場合は、
アニメは全てが終わってから見たいなぁって思う方の人です

今まで小説を読んでいる間、ずーーーっとyamaの歌が頭を駆け巡ってた
もう、イヤーワーム状態

けれどそんなに都合よく私の好みに沿うわけもなく、
アニメ見てみて「違う人なんだ」って確認
とりあえず「アニメが最終回迎えたら見よう」と決心

だから、今も私の中では「薬屋のひとりごと」のテーマソングは全部yama

決して今のテーマソングに不満があるわけではなくて、
ただ自分の中で出来上がってしまった世界観を
今はまだ変えたくないだけ

何か、主人公の猫猫や任氏やその他の人達の、自身の能力や立場やらに対する葛藤が、
yamaの中性的な歌声にピッタリだと、
私が勝手に感じてるからなんだなぁ

ANN JAM

何年も前の過去のオールナイトニッポンを聴いてる
今日はダンナが居ないからテレビつけなくて良い
今日は仕事、ハードだったなぁ
ラジオと肴とアルコール
サイコー

カマキリ

玄関先で寒くて縮こまってるカマキリを見つけた
左手が黄色に変色し始めてた

少し悩んでサンルームのハイビスカスの鉢にとまらせた
サンルームでも、やっぱり夜は寒くて葉の裏で縮こまっていた
翌日、サンルームが煮えたらいけないので開け放したけれど、もう羽ばたく力はないのか出ていく様子はなかった
その日の夜はハイビスカスの鉢ごとカマキリをリビングに入れた
数時間経つと天井へ向かって壁を歩いて上がって行く
その晩はリビングの暖房をつけたままで寝た
翌日、暖かく天気が良かったので、玄関前の日の当たる桜の木の残り少ない緑の葉にカマキリをとまらせた
割と元気に餌を探してる風だった
翌朝も見てみるとあまり場所は変わってなくて、やっぱり餌が来ないか見張ってる風
この数日は暖かめな日中だ
小さな蜂の類が何匹が飛んでいたので、うまくいっていたなら餌を捉えられたりもしているのかな
でも、翌日からは冬に向かって寒くなる
あと数日で12月、今年が暖かすぎなだけ
夕方過ぎて、雨が降り出した
明日もカマキリは生きてるのかな

リビングに招き入れた時のカマキリは動きが軽くなって快適そうに見えた
ずっとリビングに捕らえていたい気持ちが増した
餌をあげたくても生き餌を上げることは私には調達出来そうにない
室温を上げるためにエアコンとファンヒーターを併用する部屋は乾燥気味で、試しに蜂蜜入りの水を与えてみたけれど、そんなものに興味はなさそうだった

虫の気持ちは分からない
私にとっての暖かい部屋がカマキリにとって心地よいか分からない
食べるものがないまま温暖な気温だけで、繁殖行動を行えない渇望に捉えるのは残酷なのか
例え給餌が行えても、カマキリは冬を越せないはず
延々と続く渇望の末に死なせるのか
自然の中で気温低下の中で絶える方が苦痛は少ないのかもしれない
人間の快適の感覚や価値観で不本意な最後を虫に押し付けている気がしてきた

今、夜9時前、久しぶりの雨が降り続けてる
一雨ごとに寒くなる、冬になる
カマキリは桜の葉の裏で雨を凌いでいるのかな

音楽とかスポーツとか

たまに
曲に助けられた、とか
歌手に励まされた、とか
聞くことがあってもあまりピンと来なかったのだけど

仕事の行き詰まりとか
コロナやインフルとかの病気や
家族の病気や
戦争や
物価高騰だとか
八方塞がりに感じるこの数年

身近な悩みから、世界の不安まで
萎縮した精神をApple Musicやradikoがほぐしてくれてる
真剣に聞いてない、ただ聞き流すのだけど

読書も表向き余り深いテーマを追ってなさそうなものに助けられてる
読んでて時には作者の思いに驚くこともあるけど

スポーツ観戦でそんなに熱くなることは無いのだけど
きっと励まされたり癒されたり助けられてる人が沢山いるんだろうな

一年前

そうかー
前のあの投稿はちょうど去年の今頃か

中居くん、テレビで活躍していて本当に良かった
ファンと言うわけではなくても、
本当に心が痛んでたから

自分や家族が入院手術を経験すると
本当にみんな健康でいて欲しいなと思うようになった
私は痛い経験をしないと人を思いやれない人間なんですよ

人の幸せが大事
動物や植物の幸せも大事
世界の平和が大事

私を助けてくれるのはそういったもの達だし、
そういったもの達が不幸になると
その不幸のお鉢は確実に私に回ってくる
私は利己的な人間なんですよ

これからも

ずっとそこにあるものって、
無機質なものとか、樹木とか、、、

年取ってくるとお別れをたくさん経験する
慣れることはなく、擦り減るような感覚が強くなった

近年はラジオが好きなんだけど、
radikoでH・Hさんの番組聴きながら
夜のサンルームで晩酌

お二人が先に逝ってしまわれて、
どうかいつまでも、そこにあって欲しい
いつチャンネルを合わせてもそこから聴こえてきて欲しい
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